鬼渋マフィア映画 『ゴッドファーザー』をレビュー

『ゴッドファーザー』をレビューします。
1972年の作品と50近くも前の作品ですが色褪せない不朽の名作です。

『ゴッドファーザー』は皆さんの心を打つ名画であることは明白です。

作品のテーマは、「コルレオーネファミリーの家族愛」、「戦後のマフィア社会」というマフィア映画ならありきたりの内容です。
しかし、『ゴッドファーザー』がここまで愛されるのは理由があります。

今回は3つのポイントに着目して名画『ゴッドファーザー』をレビューします。

 

個性溢れる登場人物

コルレオーネファミリー

シチリア系マフィアであるコルレオーネファミリー。

ヴィト・コルレオーネがファミリーの長です。
ヴィトは「ゴッドファーザー」として、絶大な威厳を放ち、多くのマフィアから慕われています。

物語はヴィトとその息子たちの関を深く描いています。

ソニーはコルレオーネファミリーの長男です。
無鉄砲で激情タイプですが、ファミリーの結束には誰より気を遣っています。

ヴィトの義理の息子であるトム・ヘイゲンが実質の№.2ポジションを取ります。
トムはファミリーの相談役であり、知性で舵取りをします。

次男のフレドは心の優しい青年です。
マフィア向きの性格ではなく、ファミリーにとっては痛いところです。

三男のマイケルはクールでクレバー、軍人としての評価も得ます。
彼の目にはかつてのヴィトを彷彿とさせる強い意志を感じさせます。

その他ファミリーのクレメンザ、ルカ・ブラージといった武闘派の仲間が脇を固めています。

登場のさせ方が巧み

2~3時間尺の映画では登場人物が多くなるにつれストーリーが複雑化します。

マフィア映画は必然的に登場人物が多くなる傾向が多いです。
しかし、ゴッドファーザーでは画期的手法によって、その問題を解消しています。

それが作品の冒頭のコニーの結婚式のシーンです。
コニーはヴィトの娘で、このシーンで物語の主要人物を一挙に登場させます。

結婚式という必然的にファミリーを集結させるシーンを作る手法は巧みです。
ここでは華やかな結婚式の裏で契りを交わすヴィトの裏顔も覗かせます。

登場人物紹介だけではなく、ファミリー社会の決まり事をも視聴者へ植え付けました。

ゴッドファーザーの継承

ヴィトからコルレオーネへ

作中でヴィトからマイケルへゴッドファーザーは系譜します。
熱血漢のソニー、臆病者のフレドではなくマイケルが系譜したのは必然の気がします。

堅気からマフィアの世界へ足を踏み入れていくマイケルにはマフィアのボスを務める器を感じさせます。
ヴィトという突出した人物からの系譜は難儀です。

ソニーやフレドではとても家中をまとめることは出来なかったと思います。

コルレオーネ邸の一室

コニーの結婚式で見せたヴィトの仕事シーン。
その姿がマフィアのボスのあるべき姿だと訴求しています。

物語のラストシーンではマイケルがゴッドファーザーとして振る舞う姿が映されています。
ラストのマイケルの姿は若きマフィアのボスの姿が投影しています。

序盤では、堅気の青年であったマイケルが、最後には父親の姿を投影するゴッドファーザーへ変貌を遂げています。
マイケルの変貌ぶりもこの作品の醍醐味ともいえる。

馬の生首

№.1シーン

映画『ゴッドファーザー』で最も有名なシーンは「馬の生首を布団に仕込むシーン」でしょう。

このシーンは冒頭の結婚式のすぐ後に続いたシーンです。
結婚式の幸福感で満たされていた視聴者を「マフィア映画だぞ」と恐怖感を与えて、物語にひきこませていきます。

ファミリーの懇意にする俳優を冷遇する映画監督へ行われた仕打ちです。
映画監督が交渉に頷かないのを契機にマフィア流の作法で説得させます。

朝起きるとベッドの中に生温かい感覚を覚えます。
失禁したのかとベッドをめくるとそこには鮮血と愛馬の生首です。

度肝を抜く脅迫に映画監督は直ぐにコルレオーネ家の要望を飲みます。

冷徹なギャップ

敵対勢力へはどのような手法をも厭わない危険性がマフィア社会の常識です。
視聴者へ与えた印象は馬の生首という強烈なインパクトだけではありません。。

生首の仕打ちを仕込む前の食事のシーンでのトム・ヘイゲンの淡々とした態度。
生首事件直後の、報告をうけたヴィトの平然とした態度。

この2つの淡々とした態度と生首というギャップも視聴者に恐ろしい印象を与えます。

シチリアでの疑問

マイケルの女性問題

マイケルは、敵対勢力との抗争により、シチリア半島に身を隠すことになります。

シチリアでは現地の女性に一目惚れをし、結婚します。
しかし、その女性はシチリアでマイケルの身を狙う者の手によって殺されます。

その後、アメリカに戻ったマイケルはかねての恋人ケイと結婚します。
この一連の流れは正直疑問です。

最初の妻の死が余りにもあっさりとしたものでした。
そこに物語にするだけの哀しみを感じること出来ませんでした。

すぐに次の妻と結婚するマイケルはあまりにも無機質ではないかと思います。
妻を殺した相手に復讐をするシーンか悲しみに暮れるシーンを敢て見せないのが、ゴッドファーザーたる人物の定めなのでしょうか?

まとめ

『ゴッドファーザー』は無駄な部分が排除さています。
どのシーンも視聴者が画面に映る登場人物の一挙手一投足に目を配らせるようなつくりです。

ゴッドファーザーがゴッドファーザーであるための要素がすべて盛り込まれていて、決して視聴者を飽きさせることがない作品です。

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