「鉄人」衣笠祥雄の偉業と伝説を振り返る

「鉄人」の異名を取った元広島カープ衣笠祥雄氏が2018年4月に亡くなられました。

衣笠氏の現役時代を知らない世代でも野球ファンなら名前を知らない人はいない名プレイヤーです。
現役引退後は解説者としても活躍していました。

物腰の柔らかい口調で的確に解説する衣笠節を楽しませてもらいました。
今回は野球界のレジェンドである衣笠祥雄氏の偉業をまとめます!

鉄人たる由縁

連続試合出場記録日本記録

衣笠氏の代名詞は「連続試合出場記録」です。
同記録のの日本記録保持者です。

鉄人、衣笠という異名はこの大記録から生まれています。

1970年から連続試合出場が始まり、1987年の引退まで18年間もグランドに立ち続けました。
極度の不振や死球による骨折など幾たの試練を乗り越えて大記録を誕生させました。

骨折した翌日も…

衣笠氏は骨折をした翌日の試合でも試合に出場して、打席に立ちました。
不屈の姿は広島ファンだけなく、相手ファンからも大喝采を受けています。

1987年には、王貞治氏に次いで国民栄誉賞を授与されます。
プロ野球選手では、2人目の受賞者です。

勿論、野球殿堂入りも果たしています。

その後、鉄人の異名は金本選手などが系譜していますが、鉄人の元祖は衣笠氏です。

鉄人伝説
連続試合出場記録の日本記録保持者

衣笠氏のずば抜けた成績

衣笠氏は、連続試合出場記録だけではありません。
連続試合出場の実現には高い実力が伴います。

衣笠氏は走攻守、どれをとっても素晴らしい成績を残しています。

打撃は、通算安打数歴代5位・通算本塁打数歴代7位を記録。
走塁では、1976年に盗塁王を獲得。

史上3人しか存在しない500本塁打、200盗塁という図抜けた記録を残しています。

更には守備でもゴールデングラブ賞を3度受賞する名手です。

このような化け物プレイヤーが、毎日スタメンに名前を連ねてくれるわけです。
怪我に強い選手はベンチとしてはとても貴重な選手。

成績も伴えば怖いものなしです。
因みに衣笠氏の背番号3は広島カープの永久欠番となっています。

鉄人伝説
走攻守の揃った化け物プレイヤー

鉄人伝説を振り返る

ルーキーでアメ車に乗り回す

衣笠氏はプライベートでも規格外です。

高卒でプロ入りし、入団直後にアメ車を購入。
当時の主力選手が、マツダ車に乗る中、高卒ルーキーがいきなりアメ車を乗り回したそうです。

この辺の器の大きさに鉄人スケールの大きさが伺えます。

更には、度重なる交通事故を起こして、免許をはく奪されています。
このあたりの傑物感は昭和を感じさせます。

デッドボールにも紳士に対応

私生活は派手に暴れる中、死球には紳士に対応していました。
衣笠氏は通算での死球の数が3番目に多いのです。(強打者の証)

衣笠氏は、死球に対して、怒るどころか、相手の投手を気遣っていました。
「いいよ、いいよ、ドンマイ」という仕草をしていたというのだから紳士的です。

昔のプロ野球では「死球=乱闘」がセットみたいな時代でした。
血気盛んな時代に、このような紳士対応はスポーツマンシップ精神と度量の大きさを示しています。

現在は大瀬良選手などにこのような紳士的な振舞いは継承されています。

最後まで魅せた鉄人としての誇り

衣笠氏は亡くなる4日前まで、解説の仕事を全うしました。
同じ日に解説を務めた槇原氏は「声が出なくて、非常に瘦せていた」というほどですから、衣笠氏の体調はひどく良くなかったのでしょう。

それでも野球に対する愛と強い想いが、衣笠氏をグランドに運んだのでしょう。
鉄人としての誇りを最後まで、身にまとい、野球に情熱を捧げたその姿、一野球ファンとして、胸が熱くなります。
安らかに、ご冥福をお祈りいたします。

鉄人衣笠の熱いハートは、野球ファンの心をも熱くさせてくれた。

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